40代の新たな挑戦として社会人MBAの取得に動き出しました。それまでの葛藤や苦労をこれから複数にわけてブログに残したいと思います。
「今さら学び直すなんて遅い」
そう思っていたのは、誰でもなく、私自身だった。
16年以上、新卒から1つの業界で真面目に働き、管理職にもなった。家庭も持ち、子育てに忙しく、生活はそれなりに安定していた。
だけど、ふと立ち止まった瞬間に感じた。
「このまま、同じ景色を見て一生を終えるのか?」
限界集落で育った自分が、今ここにいる理由
私は、いわゆる“限界集落”で育った。
同級生はわずか9人。地元の村役場に入るのが勝ち組、その次が郵便局、老人ホームと続く、進学校に入って大学へ進学するの者はいない。
「大学?何言ってるんだ」と15歳の夏に親を含めた周りの大人に笑われた日。
「地元に残って、手堅く働くのが一番」「田舎者は笑われるだけ、何もできない」と繰り返す大人たちの言葉に、息が詰まりそうだった。
この言葉を聞いた私は決めた。
「絶対に見返してやる」「田舎出身でもできるところを見せてやる」
大学・大学院は授業料免除、奨学金とバイトで生活費を稼いだ。誰にも頼れない環境の中、自分の道を切り拓いてきた。
社内研修で気づいた、自分の“限界”
キャリアの節目で、会社の限られたモノだけが参加できる研修に運よく参加した。
リーダーシップ、意思決定、戦略……どれも学びが多かった。
だけど同時に、自分の「思考の限界」にも気づかされた。
これまでやってきたことは語れる。でも経営は語れない
このままでは、本当に未来に責任を持つ存在にはなれない。
地元の人々を見返すには、「会社の未来」「社会の未来」に向き合える人になりたい。そう思った。
近くに大学ができた、それが心を動かした
そんなとき、ふと手にした最寄りの駅の広告が目に入った。
「ビジネススクール開校」「社会人MBA」の文字だった。
「自分には無理だろうな」
「家庭もあるし、時間もないし…」
そう思いつつ、気づけばいくつか大学を調べて数校の資料請求をしていた。
気づけば、説明会に申し込んでいた。
そして気づけば、ワードで、志望理由の素案を思い描いていた。
次回予告:「理想」と「現実」のはざまで揺れた日々
次回は、最初に通おうとした“あるスクール”で感じた違和感、
そして「本当に自分に合った学び」と出会うまでの模索の日々をお届けします。
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